皆さん、こんにちは!
チェンバロの藤野総一郎です。ここ1年くらい、ソルフェージュ(ソルフェ)について考えることが多いので、僭越ながら私の考えを書いていこうと思います。
ソルフェージュとは
ソルフェージュとは、簡単に言えば、楽譜に記譜されたもの(発想記号をはじめとする楽語、拍子記号、複数の音符で作られるリズム、フレーズ、和音など)をどのように演奏するかを考え、実践できるようにする科目のことです。
私の親しい演奏家たちは皆、口を揃えてソルフェが大切だと言います。
なぜソルフェージュなのか
曲を弾けるようにするという目標を抱いた時に、どのような手順でその目標を達成できるでしょうか。
以前は、まずはテクニック的に演奏が難しい部分を克服して、通して止まらないように(間違えないように)演奏できるようにし、その後にどのような表現が曲に適しているか考えて少しずつ演奏を美しいものに変えていくという手順で練習していました。これは、通っていたピアノ教室で受けた教育をそのまま自身の練習に適用したものです。
最近は、まずどのような演奏を目指しているのか明確にし、それに対してテクニック的に難しい部分を克服し、最後に通して止まらないように演奏できるようにしています。これは、ピアノの譜読みに関する本をどこかで読んで、メリットが多いと感じたため実践しているものです。
このように、以前と今では、曲を弾くという目標は同じではあるものの、それに対する手順が全く違うのです。では、どちらの手順がより良いのでしょう。
それぞれ、箇条書に書き直して、中間目標に対して番号を振ってみると、前者は、
1. 演奏を通して行うこと(技術的訓練)
2. どのような演奏が良いか考えること(表現の考察)
3. 表現を工夫すること(技術的訓練)
の順になっており、それぞれ並行せずに独立して取り組んでいました。それに対して後者は、
1. どのような演奏が良いか考えること(表現の考察)
2. 演奏を通して行うこと(技術的訓練)
の順になっており、実際は並行して取り組みます。
前者は、演奏を通して行うための技術的な練習と、より良い表現のための技術的な練習の2回分の練習があることが分かります。それに対して後者は、技術的な練習は2番目の演奏を通して行うことの1回だけです。このように、工程だけ整理すると、1工程分の差があることが分かります。
前者の手順で練習を進めた際、仮に1番と3番の目指すべき演奏が異なっていれば(当然、目指すべき完成形が違うので異なることが多いのですが)、その分を修正するためにとても多い時間を費やす必要があります。場合によっては、全く別の曲を弾けるようにすることと大差ないくらいの時間が必要です。趣味で無期限に練習できる場合、好きな手段で曲を弾けるようにすれば良いのですが、演奏会などを企画または参画する場合、期日があるのでできるだけ効率的に達成する必要があります。(つまり、後者の手順の方が工程数比較だけで言うと、圧倒的に早いわけです。)
どのような演奏が良いか考えるためには、楽譜を見ただけである程度の演奏の完成形が思い浮かぶ必要があります。その時に必要なのがソルフェ能力であり、通して弾けるようにする以前に完成形を想像するためには結構なソルフェ能力が必要なのです。(だから、ソルフェージュが大切だと、最近考えることが多いのです。)
ソルフェは音楽だけではない
何かを達成する際に完成形をイメージしてから取り掛かることは、決して音楽だけの話ではありません。たとえば、年賀状を手書きで書く際、無計画に書き始めると、望まない場所で改行が必要になったり、文字を書こうと思っていない挿絵の上に文字を書いたりすることになり、書損じはがきまっしぐらです。書損じた場合は、修正液やシールなどで誤魔化したり、そのまま書き損じはがきとして郵便局に換金しに行く手間が生じます。書損じはがきにしないためにも、必ず完成形をイメージしてから書き始めるはずです。
机などのインテリアを買う際も同様に、家に置いて邪魔にならないか、作りたい部屋の雰囲気を壊さないか、そのインテリアの機能に問題がないかなどを必ず考えてから買うはずです。
はがきを書くにしても、インテリアを買うにしても、手を付ける前に完成形をイメージできることはとても重要です。そのために、はがきであれば他の完成品やはがきサイズ以外の類似作品(ポスターやwebサイトなど)を、インテリアであれば住居のカタログや他人のSNSなどを参考にして、自身の趣味に合ったものを探してから取り組みます。この、”良い趣味を見つける”作業こそがソルフェージュの実践したいことなのです。我々は、日々、良い完成形をイメージできるようにするため、知らず知らずのうちに、他者との会話、テレビやSNS、雑誌、別の完成品との遭遇などを経験することで想像力を養っています。
良い趣味を獲得さえしていれば、何かに手を付ける際にその場で確認すべき資料は自ずと少なくなってきます。音楽でいえば、他者の演奏や、その録音を聴いて、趣味(技術)を盗む作業にかかる時間が格段に減ることになります。
優れた人について思うところ
全ての業種において、優れた人(都合の良い人のことではない)というのは、おそらく良い趣味をもっていて、それを実現できる人のことを指すのだと考えています。たとえば、料理人であれば、良い完成形をイメージできないことには食材を無駄にしたり、客にイマイチな料理を提供することになってしまいます。システムエンジニアであれば、良い完成形をイメージできる趣味を持っていなければ、機能の過不足が生じたり、作っている間に機能の変更等が必要になって多くの時間がかかってしまいます。
私はまだチェンバロを勉強する身分ですので、色んな先生方からチェンバロのレッスンを受けます。先生自身が弾いたことの無い曲であっても、楽譜を見たり、私の演奏を聴いた際に、先生の中で私よりも良い完成形をイメージできて、それを伝えてくださる先生は真に素晴らしい先生だと感じます。
”音楽には人生経験が必要”とは
チェンバロの演奏会を企画するようになって2年ほど経ちますが、チェンバロを本格的に始めてまだ3年ほどしか経っていません。まだまだ良い趣味(チェンバロに関するソルフェージュ)を獲得しきったとは言えません。そのため、良い趣味を獲得するために、様々なプロの演奏を聴いたり、良い趣味を持った人からレッスンを受けて勉強しています。
演奏会というものは、娯楽としての一面もありますが、聴いていただくお客様に、良い趣味獲得のきっかけになる体験を提供する側面も持っていると考えています。この体験は決して演奏に関することにとどまらず、会場の雰囲気や、演奏会中の小話、提供するプログラムノート、演奏会以前から公開するチラシやSNSなどの宣伝もそれらに含まれていると思っています。
今は、演奏の面で良い趣味を提供するべく、レッスン等でソルフェージュの鍛錬に臨むのはもちろん、演奏会を通じて素敵な体験を提供するための総合的な良い趣味(総合的ソルフェ力)を身に着ける鍛錬も重要だと意識して生活しています。
”音楽”と一言に言っても、音楽を評価する際はその時の心理状態やその心理状態に影響する全ての出来事が関係しているはずです。よく、「あの時聴いたあの曲は良かった」と、口にする人が居ますが、それはまさに心理状態が関係しているのです。つまり、どれだけ演奏だけを磨いても、音楽が聴衆の心理状態に依存して評価される特性を踏まえれば、それだけでは足りないということになります。”音楽には人生経験が必要”といいますが、それは総合的に良い趣味を身に着け、演奏”会”を通じて総合的に実践できなければ、聴衆に良い体験(演奏会)を提供できないことを意味しているのではないでしょうか。
おわりに
最近はこのようなことを感じていましたが、まだ大した成果も出していないので、このような偉そうな主張を堂々とするのが難しく、相手も居ないので、メモ帳代わりにブログに書いてしまいました。いずれはこんなことも考えていたなーと、懐古に浸れるよう、人生経験を積んでいきます!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!